教育実習生と母の過去

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朝礼が終わって、教室へと戻ったときに、「残念ながら、男のほうらしいぜ」後ろの席の佐藤が、そう教えた。

「・・・え?」

「実習生。うちのクラスに来るのは、男のほうらしい」
「ああ。そうなんだ」

つまり、今しがたの朝礼で紹介された二人の教育実習生のうち、男のほうがこの二年A組付きになるという情報だった。

「ツイてねえよな。せっかく、女子大生とお近づきになれるチャンスだったのにさ」
「うーん・・・女子大生つってもなあ」

いかにも無念そうな言葉に、修一は同調する気になれない。
女性のほう、佐藤の拘る“女子大生”は正直さほど“お近づき”になりたいタイプでもなかった。

「それでも、ニヤけた優男よりは何倍もマシだ」
「・・・まあ、そうかもな」

譲らない佐藤に適当に合わせながら、周囲をうかがってみる。
その情報はすでに広まっているようで、教室の雰囲気は少し違っている。
なるほど、女子生徒のほうが盛り上がっているみたいだ。
やれやれと修一が軽いため息をついた時、チャイムが鳴った。

「藤井恭介です。よろしく」

落ち着いていた。颯爽とした感じ。
確かに“優男”という形容が似合う、いま風の二枚目。
髪はサラリと流し、スーツの着こなしも洒脱で、およそ“教師のタマゴ”といった初々しさは感じられない。
自然、女子の間には熱っぽいひそひそ声が交わされ、逆に男子には本能的(?)な反発の空気が広がる。

「ケッ」

佐藤が吐き捨てる声に苦笑しながら、“これなら地味な女実習生のほうがマシだったか”と修一も思った。
複雑な注視を浴びる若い見習い教師は、そんな空気は意にも止めない様子で出席をとりはじめた。
ひとりひとり呼び上げては、顔を確認していく。
声も淀みなく、冗談めかした媚態をこめた返事にも不機嫌な応答にも、動じることなく飄然と。

(もう少し不慣れなところを見せたほうが、印象がいいのにな)

修一は内心に呟いた。

そんな思考を浮かべてしまうのは、家庭環境からのクセのようなものだった。

「加橋、修一」
「はい」

ごく普通に答えた修一と、藤井の目がはじめて合う。

「・・・・・・」
「・・・?」

他の生徒より長くマジマジと見つめられた気がしたが、はっきり不自然な間合いになる前に、藤井は出席簿に目を戻した。

(気のせい・・・だよな)

無論、今日はじめて顔をあわせた教生に目をつけられる理由など思い当たらないから、修一は軽く流した。

それが気のせいではなくて、しかるべき理由もあったことを知ったのは、四時限目の授業が終わったとき。
この時間、現国の担当教師とともに現れた藤井は、授業の後半を引き継いで教壇に立った。
やはり、そつのない授業ぶりだった。
感心する半面“どこまでも可愛げはないなあ”と呆れていた修一は、廊下に出たところで藤井に声をかけられた。

「君は、加橋先生の息子さんなんだって?」
「ああ・・・はい」

修一が頷くと、藤井はやけに嬉しそうに、

「僕は、加橋先生の教え子なんだよ」

「ああ・・・」“そういうことか”と修一は納得した。

藤井もこの高校のOBだというのだから、もっと早く思いあたってもいい可能性だったが。
・・・うざったいなと、感じる。

「先生にも久しぶりにお会いしたけど。全然変わってなくて嬉しかったな。僕も加橋先生みたいな教師になりたくて、教職をとったわけだからね」
「そうなんですか」

気のない相槌をうちながら、“そんなこと俺に言われてもなあ”とか。
だいたいルール違反だと思える。
無論、修一がこの学校に勤める女教師・加橋奈津子の息子であることは周知の事実だ。
少なくとも、教職員には知らないものはいない。
しかし、平素の生活の中ではそのことに触れないのが、暗黙の了解事であるはずだった。
まあ、藤井はまだ教師のタマゴに過ぎないのだから、大目に見るべきだろうが。
母が、このように教え子から慕われているということには、悪い気はしなかったし。

「ま、これもなにかの縁だから。短い間だけど、よろしく頼むよ」
「こちらこそ」

ポンと肩を叩かれるのも、馴れなれしさが過ぎる気がしたが。
とにかくも、一段落ついた会話に安堵して。
軽い足取りで立ち去る藤井を見送って、「・・・ま、たったの二週間だからな」あまり気にしないでおこうと、修一は思った。

「実習の藤井先生って、母さんの教え子だったんだって?」

それでも、夕食の席での話題には乗せてみた。

「ええ」

箸を止めて、奈津子は答えた。
銀縁眼鏡の奥の知的な瞳が修一をとらえる。

「藤井くんから聞いたの?」
「うん」

「・・・他に・・・なにか言ってた?」
「うん?ああ、母さんに憧れて教師を目指したとか」

フッと奈津子は微苦笑して、

「点数かせぎのつもりかしらね。昔から、口の上手な子だったから・・・」

「でも、そういうのって嬉しいんじゃないの?」
「まあ、ね」

「・・・藤井先生って、どんな生徒だった?」

別に興味もないが、話の流れとして訊いてみた。

「優秀だったわよ。真面目だし」
「ふーん」

優秀というのはわかるが。
真面目ってのはどうだろう?という思いから、「女子はさ、浮かれてるヤツがけっこういるね。その分、男子には受けが悪いみたい」そんなことを伝えてみた。

奈津子は少しだけ困ったものだという表情を作って、

「仕方ないわね。年が近いから、多少はそういうことも」
「そういうもんかな」

「毎年のことよ。実習生が来るたびに」

慣れっこだというふうに、ベテラン教師である奈津子は言って。
どうということもないままに、その会話は終わった。
つまりは、母とっては藤井恭介も、数多い教え子のうちのひとりに過ぎないのだと。
そう、修一は理解し納得した。

五日が過ぎた。
藤井センセイはしごく好調に実習を消化しているように見える。

「つーか、絶好調じゃん?」

気にいらねえと、佐藤が大多数の男子生徒の気持ちを代弁する。
鞄に教科書を移していた修一は、またかと思いつつ、佐藤が睨みつけているほうを見やった。
放課のHR直後の教室。
教壇のあたりで藤井が数名の女子に囲まれている。
すでに見慣れた光景だ。

「加橋さあ、奈津子先生に注進して、ひとつガツンと言ってもらってくれよ」
「注進って・・・なんて言うんだよ?」

藤井が加橋奈津子教諭の教え子であるということは、すでにかなり広まっている。
藤井自身が折にふれては口にしているようだ。

「生徒とうちとけるのは、悪いことじゃないだろ」
「甘い、甘いぞ。なにか問題が起こってからでは遅いんだよ」

PTAみたいなことを言う佐藤だが、それがやっかみに過ぎないことは明白だ。

取り合おうとしない修一に、佐藤が口調を変えて、

「そりゃあ、クラスのバカ女がいくら藤井に靡いても、加橋にゃどうでもいいだろうけどさ。しかし、まるっきり他人事でもないんよ?」
「はあ?」

「アイツ、しのぶ先生にもコナかけてるらしいよ」
「・・・・・・」

「ホラ、顔色が変わった。な、捨ておけねえだろ?」
「・・・いや、どこでそんな情報仕入れてくるのかと思ってさ」

でも、一瞬ドキリとしたのも事実。

いやな気分になったのも事実だったから、「桜井先生が・・・相手にするかな」つい、修一はそんな言葉をこぼしてしまった。

取り巻きを従えて、ようやく教室を出ていく藤井を、少しだけ細めた目で見送りながら。

「そう信じたいけどさ、オレも」

力をこめて佐藤は頷く。

とにかく藤井を男子生徒共通の敵だととらえているようだ。
・・・佐藤が女に縁がないのは、もとからのことだったはずだが。

「加橋、おまえ、今日も部活でしのぶ先生に会うだろ?釘をさしとけよ」
「今度はそっちかよ・・・」

呆れたように返しながら。
ちょっと考えてしまう修一。

確かに。桜井しのぶ教諭は修一の所属する美術部の顧問であるから、毎日のように顔を合わせる。

(けどなあ・・・)

どうすりゃいいやらと思案しながら部活に出た修一だったが。

「先生、聞きましたよう」

女子部員のひとりが、あっさりと解決してくれた。

「教生の藤井先生と、かなり親密らしいじゃないですか」

(寺田、ナイス)

その寺田という女子に、心の中で点を与える修一。
日頃は幽霊部員のくせに、ゴシップ目当てで出席したらしいことも許す。

「そんなんじゃないわよ」

他の部員のそばに立って、製作中の絵への助言を与えていた桜井先生は、苦笑を向けてそう言った。
あまり美術教師というイメージにはそぐわないような、淑やかな容姿と物腰の女教師だ。
長い艶やかな髪を大きくまとめて背に流している。

「えー、でも、お二人が睦まじく話してる現場は、何人もの生徒に目撃されているわけですが」

芸能リポーターよろしく追及する寺田。
どうやら彼女は藤井のシンパではないらしい。
しかし、桜井先生は余裕の笑みで受け流す。

「大学がね、私も東京だったでしょう?それで、住んでいたところも、いまの藤井先生の住まいと近くでね。そういう話題で、ちょっと盛り上がったの。それだけです」

動揺を見せない態度に、修一はひとまず安堵する。

しかし、なおも食い下がる寺田や、その尻馬にのりはじめる他の部員たちに対応する先生の表情は、満更でもないというようにも見えてしまって、チクリと胸を刺す。
さほど強くハッキリとした感情を桜井しのぶに向けているわけではないが。
好意と親近感を抱く女教師が、いきなりやってきた実習生と妙な関係になってしまうのは、面白いことではない。

(・・・結局、俺も佐藤たちと変わらないか)

などと、自嘲していると、

「・・・加橋」

不意に隣りから声を掛けられた。
妙におどろおどろしい声を。

ふり向けば、カンバスを並べていた三年の久保が暗い目で睨んでいた。

「なんすか、部長?」

聞き返しながら、あ、この波動は最近すっかり馴染みがある・・・とか思った。
この春、定年で引退した前任に代わって桜井先生が顧問となったときには、本当に嬉し泣きに泣いたという久保である。
美術部のマドンナへの思い入れは修一などよりずっと深いことはわかっていたから。
果たして、久保部長は思いつめた口調で切り出す。

「藤井ってのは、加橋先生の教え子だったんだってな?」
「あー、そうらしいすけどねえ」

ポリポリと頭をかいて。
修一は、聞かずともわかる久保の言葉の続きを遮って、「まあ、あと10日もすれば、いなくなるわけですから。心配することはないでしょう」力をこめて、そう言い切った。

(・・・しかし。母さんって、やっぱ、そういうイメージなんだな)

鶴の一声とか、若造なんぞ、ひと睨みで黙らせるとか。
そういう存在だと、みなが認識しているのだなあと、改めて確認した。

藤井らの実習期間が残り半分となった頃には、修一は心底うんざりしていた。
相変わらず闊達に過ぎる勤務ぶりの藤井に対して、加橋先生の影響力の行使を望む声を何度となく聞かされるはめになっていたからだ。
しかし、“女子生徒にモテすぎて男子のやっかみがうるさいから、なんとかしてくれ”などと母には言えない。
また、奈津子の方からも、藤井の実習態度について、修一に尋ねるということはなかった。
かつての教え子だということを考えれば、やや冷淡な態度にも思えたが。
直接の監督係ではないという立場から、口出しを謹んでいるのだろうと修一は推測した。
母の性格からして、いかにもなことである。
そして、母の対応がそのようであれば、ますます修一からは、つまらぬ訴えなどしにくくなってしまう。
結局、修一は、周囲からの懇請へのお決まりの返答、“あと数日の辛抱だから”という言葉を自分にも言い聞かせて。
その日を真剣に待ちわびるようになっていたのだが。
皮肉舐めぐり合わせというのか。
放課後、部活へと向かう途中の廊下で、親しげに話しこむ藤井と桜井先生の姿に出くわしてしまう。

足を止めて、楽しそうに談笑する二人を、遠く修一は眺めた。
そのそばを通りぬけるのもためらわれたし、きびすを返して回り道をするのも馬鹿げている。
幸いにも、ほどなく二人は話を終えて。
桜井先生は美術室の方へと向かっていった。

「・・・やあ」

藤井が修一に気づいて、歩みよってくる。

「うん?どうしたのかな。そんなに睨みつけて」
「・・・」

睨んでいるつもりはないが、憮然たる顔になっていることは、修一も自覚する。

藤井が笑う。
どうしたと聞きながら、修一の内心など見通しているように、

「心配はいらないよ。別に、桜井先生に対して、妙な下心は持ってないから」
「別に、そんなことは・・・」

カッと頭に血を昇らせながら返した修一を、まあまあとなだめて、

「確かに、彼女、なかなか魅力的だとは思うけど。俺は、それほど趣味でもないな」
「・・・・・・」

修一は、思わず呆気にとられる。
急にくだけた藤井の口調と、倣岸すぎる言いぐさに。

「そう。好みというなら、奈津子先生のほうだな。俺は」
「はあっ!?」

素っ頓狂は声を張り上げてしまった。

(・・・な、なに言ってんだ?こいつ)

「憧れてたってのは、単に教師としてだけじゃないってことさ」

「・・・趣味、悪いんですね」
「どうして?奈津子先生は綺麗なひとじゃないか」

他意のない口調で藤井は言った。
それは・・・事実だ。
修一もひそかな自慢に思っている。

だが、何故だか感情を害されてしまって、

「・・・そんなこと言うの、藤井先生だけですよ」

つい反論してしまった。

「そうなの?うーん、確かに威厳があるからな、奈津子先生は。気安く話題にはしにくいかな」
「それ以前に、年が・・・」

藤井の見解に正しさを感じながら。
なおも修一は、そんな言葉を続けてしまう。
現実に高校生の子供を持つ母親であるのだから。
容姿のことなど、生徒たちの関心の埒外だろうと。
それは、修一と三才しか違わない藤井にしても同じことであろうと。
・・・やけにムキになって、藤井からの母への賞賛を否定したがっている自分に気づく。

(なにやってんだ?俺)

こんな妙な話題で、話したくもない相手と話しこんでしまって。

「まあ、ともかく」

修一のバツの悪さを知ってか知らずか、藤井は明るい声で、

「そういう憧れもあるぶん、奈津子先生には弱いんだな、僕は。だから、あまり悪い評判は先生の耳に入れないでくれよ?桜井先生のことだって、本当になんでもないんだからさ」
「・・・はあ。言いませんけどね」

頼むくらいなら、少しは慎めばいいじゃないかと思う。
・・・なにか、話をはぐらかされた気もした。
消化しきれないものが残ったような。
思いがけず会話の機会を持っても、修一の藤井への心象は良くはならなかった。
逆に、その存在への疎ましさを強めただけだった。

翌日。

「ニュース!じつに愉快きわまるお知らせ!」

昼休みが終わる頃教室に戻ってきた佐藤が大はしゃぎで告げた。

「ついに!あの藤井のヤローに天誅が下されました」

喜色満面、瓦版屋のように報告するには。
廊下で、例のごとく取り巻きの女子生徒たちに囲まれていた藤井が、通りがかった奈津子先生に呼びつけられ、国語準備室へ“しょっぴかれて”行ったのだという。

「マンツーマンでさあ。そりゃあもうキツくお灸をすえられてたぜ。『教師としての自覚が足りない!』ってさ。あの奈津子先生のカンロクだからさ、さすがに藤井も神妙なツラでハイハイって」
「・・・まるで、見てきたみたいだな」

「見てたもの」
「はあ?」

「隣りの資料室の窓から身を乗り出してさ。一部始終を見届けましたよ」
「おまえ・・・」

「だって、こんな痛快なシーンを見逃せる?いやあ、さすがは奈津子先生だよ。特に声を荒げるとかじゃないんだけどさ、それでもスッゲエ迫力で。覗いてるオレも、思わずビビったくらい」
「・・・そりゃ、覗きが見つかってたら、藤井以上に怒られてたろうけどな」

「ああ、けっこう怖かった。でも危険を冒した甲斐はあったぜ。あの藤井がションボリうなだれてる姿、ククク、思い出しただけでさあ」
「・・・ふうん」

本当だろうか?と疑問に感じる。
そんな神妙なタマだろうか。

(でも、母さんには弱いって言ってたしな)

ならば、それなりにこたえたということだろうか。
まあ、昨日あんなふうに口止めを頼んでおいて、性懲りもなく女子生徒と騒いでいたというのだから、自業自得だ。

「まあ、これで残りの期間は、大人しくなるんじゃないか」
「だな。ありゃあ、さすがに懲りただろうから」

力をこめて頷く佐藤に、藤井を叱責したときの母の迫力を想像させられて、修一は苦笑したが。
自分とて、それを痛快に感じていることは否定できなかった。

その夜。
夕食後、自室で机に向かっていた修一は、マグカップのコーヒーが空になったのをしおに勉強を中断して立ち上がった。
階下におりると、湯上りの姿の母がいた。

「修一も、入っちゃいなさい」
「うん」

返事をかえしながらキッチンに入り、マグにコーヒーを注ぐ。
立ったまま、ひと口すする。
白いバスローブ姿で、リビングのソファに座る母を眺めた。
肩にかけたタオルで洗い髪を乾かしている。
無論、それは修一には見慣れた光景だが。
あらためて見れば、昼間学校にいるときとは、ずいぶん印象が変わる奈津子である。
化粧を落していることは、さほど関係ない。
もともと、ほんの薄いメイクしかしない母であるから。
印象を変えている大きな要因は、眼鏡を外していることだ。
やや堅苦しいデザインの眼鏡を外すと、奈津子の外見はグッと柔らかなものになる。
本来の秀麗な容貌が、あらわになる感じだ。
それは、父が亡くなってからは、ひとり修一だけが知る姿のはずだったが。
『奈津子先生は綺麗なひとじゃないか』藤井は、こんな母の顔を見たことがあるんだろうか?
それは、一年も担任教師と生徒として接していれば、眼鏡を外したところを目にする機会くらい、あってもおかしくはないが。

「・・・どうしたの?」

修一の視線に気づいた奈津子が訊いた。

「あ、うん」

瞬時、襟元の白い肌に吸い寄せられた眼を慌ててそらしながら修一は答えて。
カップを手に母の向かいのソファに腰を下ろした。
奈津子は物問い顔のまま、修一を見つめている。
気遣いを含んだ表情は、教師ではなく母親のものだ。
それは、やはり自分だけに向けられる貌に違いないと思えた。

「聞いたよ。藤井先生に、お灸をすえたんだって?」

夕食のときには持ち出さなかった話題を口にする。

奈津子は、わずかに眉を寄せて、

「誰から聞いたの?」
「ああ・・・母さんが藤井を連れてくところを、クラスのヤツが見てて・・・」

隣室から窓越しに覗いていたことは言えないが。

そう、と奈津子は頷いて、

「職員室でも問題になってたし。たまたま、そういう場面に出くわしたから」
「元担任としては見過ごしておけなかったと」

「・・・本当は、監督は修一のクラスの根本先生だから。出すぎたことはしたくなかったんだけど」
「うーん、でも、母さんからの注意のほうが効き目があったんじゃない?」

「そうだといいんだけど」

苦く笑う奈津子に、修一はふと気づく。
母は、藤井のことがあまり好きじゃないみたいだなと。
考えてみれば、藤井が実習生としてやって来てからの母の態度は、あまりにも冷淡であったと思える。
直接の指導係ではないという遠慮があるにしてもだ。
家でも、ほとんど話題にすることさえなかったのだから。
意外に感じるのは、母の教師としての教え子への愛情の強さを知っているからだったが。
同時に当然だという気もする。
行状の問題ではなく、藤井のような、どこか人を舐めているような輩は、母が最も嫌うタイプであるはずだから。
その確信は、余計に修一の気分を良くした。

「まあ、アイツも、さすがに懲りただろうしね」

つい、内心のままに、アイツなどと呼んでしまう。

「それに実習期間も、もう一週間も残ってないんだし」

藤井ではなく、母をフォローするつもりで、そんなことを言った。

「そうね・・・あと少しのこと、だから・・・」

頷いて。しかし、奈津子の貌には微かな翳りがさす。
残された日数を数えるような眼をして。
無理もないかと、修一は納得した。
母の立場からすれば、本当にすべて終わるまでは安心できないのだろうと。
つまらないことで母を悩ます藤井に対して、また怒りをわかせたが。

(まったく。とんだ疫病神だったな)

内心に毒づいた言葉は、しかしすでに過去形になっていた。
ほぼ終わったこととして、修一の中では落着していたのだった。

それなのに。

そのたった二日後だ。
ありうべからざる光景を目撃することとなったのは。

放課後の国語準備室。
母と藤井。
藤井の腕に抱きすくめられている母の姿。
息をつめて、愕然と眼を見開いて、修一は凝視していた。

発端は部活を終えて昇降口へと向かっていた途中。
廊下で話している桜井先生と藤井の姿を見つけた。
顧問の仕事を終え職員室へと戻ろうとした女教師を、藤井が捕まえたらしい。
後から部室を出てきて、その場面に出くわした修一が最初に感じたのは呆れだった。
アイツ、まだ懲りてなかったのかと。

数日前に修一が見たのと状況としては同じだったが。
このときの桜井先生には困惑の気ぶりがありありと見てとれた。
前回より人目につきやすい場所で、部活を終えた生徒の帰宅時間にぶつかっているせいだろう。
藤井は、そんな相手の反応もかまわずに馴れ馴れしさを押し出しているから。
傍目には無理やり口説きにかかっているように見える。
今度は、修一は見過ごそうとは思わなかった。
母の気苦労もしらず、叱責を受けたあともこんなことを繰り返している藤井に対して、強い怒りを感じたから。

だが、修一が行動に出るより早く、「藤井先生」低く、しかしよく通る声が割って入った。

奈津子だった。
カツカツとヒールを響かせてふたりに歩みより、眼鏡ごしに冷ややか眼を藤井に向けて、

「話があります。一緒に来てちょうだい」
「あ、そうですか。じゃ、桜井先生、これで」

抑えた中にも、はっきりと怒気を滲ませた奈津子の声を聞けば、どんな用件なのかは明白であったが。
藤井は悪びれた様子も見せずに軽く諾って、奈津子の後に付き従っていった。
遠ざかるふたりを見ながら、修一は桜井先生に歩みよった。

「・・・先生」
「加橋くん・・・」

ビクリと振り向いた桜井教諭は、相手が修一だとわかると一瞬安堵を見せ、すぐにバツの悪そうな顔になって、

「あ、見られてた?」
「ええ・・・たまたま、通りかかって」

「あちゃ、変なところ見られちゃったわね」
「別に、先生が気にすることないですよ。母・・・加橋先生が現れなかったら、俺が・・・」

助けに・・・と言いかけて、気恥ずかしさに言葉を誤魔化す。

「フフ、ありがとう」

微笑んだ女教師の言葉に、さらに照れくさい思いになって、

「あ、でも、ひょっとしたら、お邪魔でしたかね」
「なに言ってるの。・・・正直、奈津子先生がいらしてくれて、助かったわ」

ポロリと、本音をこぼした。

「藤井先生って、ちょっと苦手。あたりはいいけど、本当はなにを考えてるのか、わからない気がして・・・」
「ただの、お調子者じゃないすか?」

「コラ、そんな言い方・・・って、私も生徒を相手にこんなこと言っちゃいけなかったのよね。いまのは内緒よ?加橋くん」

ハイと、修一は頷いて。
母と藤井が姿を消したほうを見やった。

「ま、なにを考えてるかわからない藤井センセイは、これからタップリと絞られるでしょうね。二度目だし」
「もう、それはいいってば」

桜井先生は可愛らしく頬を膨れさせて抗議してから、

「でも、ちょっと同情しちゃうかな。奈津子先生、怒ると怖いから・・・あ、これも内緒よ?」

笑いあって師弟はその場で別れた。

桜井教諭は職員室に向かった。
修一も昇降口へと向かい帰路に就く・・・べきところだった。
二、三歩行きかけて足を止めた。
ふりかえった。

「・・・」

母と藤井が向かったのは、職員室の方向ではなかった。
多分、また国語準備室だろう。
しばしの逡巡のあとに、修一は踵をかえした。
早足に進み、階段を上りながら、自分の行動に驚いていた。
きっかけの第一は、先日佐藤から聞かされていた話だ。

隣りの資料室から覗けたと。

動機としては──
佐藤と同様に、叱責される藤井の姿を見たいという気持ちもあった。
今度こそ徹底的に叱られて凹むさまを見届けて溜飲を下げたいと。
だが、それだけでもなかった。
母に呼びつけられたときの藤井の平然たる態度に、漠たる不安を感じた。
行く先の部屋では、多分母と藤井はふたりきりになる。
だから、どうした?と問い返す声も聞こえた。
無論、真剣に不安がるのは馬鹿げている。
結局それは、野次馬根性からの行為への言い訳にすぎないのではないかと自問して。
まあ、そんなところだなと自答した。
それでも、足は止まらなかった。
これくらいはいいだろうと思った。
アイツにイヤな気分を味わわされた回数は、他の生徒たちより多いはずだから。
つまりは。
このときの修一に“ムシのしらせ”といったような予感はなかった。
忍び足で資料室に入りこみ、音を立てないように窓を開けて、窓枠に上りそっと身を乗り出していきながら。
その意識を満たしていたのは、ささやかな悪戯を働くときの緊張と高揚だった。だから。

夕陽を映す窓ごしに見えた準備室の風景。
部屋の中央のあたりで身を寄せて佇むふたりの姿に。
背後に立った藤井の腕に体を抱かれている母、という光景に。
修一は思考が止まるほどのショックを受けて、窓枠に張り付いた無理な態勢のまま、凍りついてしまったのだった。

「・・・やめなさい・・・」

母の声が耳に届き、修一は自失の状態から我にかえった。
助けなくては・・・と、当然な焦燥を感じて。
しかし、体が動かない。
その光景から、眼を離すことができなかった。

「・・・放して・・・」

また、母が拒絶の言葉を吐く。
硬くこわばってはいるが、掠れた弱い声だった。
何故・・・そんなにも弱い声音なのだろう?
フッといやらしい笑みを浮かべた藤井が、奈津子のうなじへと口を寄せる。

「いやっ」

ビクリと戦慄いて、奈津子が藻掻く。
しかし、その抵抗の動きも、あまりにも弱々しい。
体にまわされた腕の拘束は、そう強いものとは見えないのに。

(・・・どうして・・・?)

そう疑問を感じてしまったから、修一は動き出す機会を逸した。

そして、

「フフ、懐かしいな。この抱き心地も、匂いも」

(・・・っ!?)

逃げようとする母の首筋に鼻先を寄せて、陶然と洩らした藤井の言葉に、完全に動きを封じられてしまった。

「変わってないね。二年前と同じだ」
「よしてっ、こんな場所で」

「いいじゃないですか。あの頃には、ここでも何度も楽しんだじゃないですか」

笑いながら、藤井の手が奈津子の隆い胸へと伸びる。
それを振り払って、ようやく奈津子は藤井の腕の中から脱け出た。
数歩の距離をとって、護るように己が体を抱きながら、藤井を睨みつけた。

「もう、あんな関係に戻るのはイヤよっ」

必死な叫び。
それを盗み聞いて、息が止まるほどの衝撃を受けている者の存在には気づかずに。
フム・・・と、藤井は腕組みして軽く首をかしげてみせた。

「なるほど。だから、ずっと僕のことを避けていたわけですね」

奈津子の無言の肯定を待って、

「でも、それなら、何故いまになって、接触してきたんです?先日だって今日だって、呼びつけたのは奈津子先生のほうだ」
「・・・・・・」

「それも、二度とも、ふたりきりの状況を作って。だから、僕は、誘われてるのかなって・・・」
「ふざけないでっ」

憤怒にふるえる声が藤井の饒舌をさえぎる。
平素、決して見せたことのない、奈津子の激情ぶりだったが。
藤井は平然とそれを受け止めて、

「まあまあ。もちろんわかってますよ。人目のあるところじゃ、なにかと差し支える話がありますからね。僕たちの場合」

もっと漏らしく首肯して。
嬲るような眼で奈津子を眺めて。

「もちろん、今もちゃんと手元に置いてますよ。“あの頃”の記録は」
「・・・ッ!」

「フフ、やっぱり、そのことが気にかかっていたわけでしょ?なら、最初から、そう訊けばいいのに。こないだだって、いつその話になるのかと待ってたら、結局最後までどうでもいいような御説教で」

ゆっくりと、藤井は歩を詰めた。
すくんだように立ち尽くす奈津子へと。
気障な仕草でおとがいに手をかけて、蒼ざめた面を仰のかせる。
黒い愉悦をたたえた眼で奈津子の貌を眺め、やはりゆっくりと顔を近づけていった。

「いやッ」

拒絶の言葉を吐いて奈津子が顔を背けると、藤井は動きを止めて心外だという表情を作った。

「久しぶりだからって。また、面倒な段取りを踏まなきゃなりませんか?写真がどうのって、あんまり不粋な話はしたくないんですけどね」
「・・・・・・」

奈津子から抵抗の気ぶりが消える。
あっさりと藤井は唇を奪った。
しばし、室内には忍びやかな息遣いの音だけが響いた。
眉間に深い苦痛の皺を刻み固く唇を引き結んで、蹂躙に耐えていた奈津子は、しかし藤井がさらに濃厚な行為に移ろうとすると、両手でその胸を押しやって唇を引き剥がした。

パシッと平手打ちの音が鳴る。

「・・・あ、あなたという子は・・・」

荒く肩を喘がせながら、震える声を絞り出す。

藤井は打たれた頬を撫でながら、愉しげに笑って、

「フフ、懐かしいな、そんな言い方も。初めての時も、先生、こんなふうに僕を殴って」
「やめてッ」

奈津子は悲鳴のような叫びで、藤井の言葉を遮って、

「私、は・・・もう、あんなことは、絶対にッ」

ふりしぼるように、それだけ言い残すと、踵をかえして駆け出した。
体をぶつけるようにドアを開けて、準備室を出ていった。
揺れる扉の向こう、急いて乱れたヒールの音が遠ざかり、やがて消えた。

数分後。
半端に開いたままのドアが、音たてて開け放たれた。

「ん?」

窓際に立って煙草をふかしていた藤井がふりかえる。

「おや?どうした?」

拳を固め、血走った眼で睨みつける修一に、のんきな声で訊いた。
その表情も態度も、いまさっき恩師である女教師に狼藉を働いた人間のものとは思えない。

「奈津子先生なら、いないよ」

ぬけぬけと吐いた言葉が、修一の自制を砕いた。

「貴様ッ!」

怒号を発して、一足飛びに藤井へと駆け寄り、殴りかかった。

「うおっ、と」

焦った声を上げながら、藤井は軽くスウェイして、大振りな拳をかわす。

「なんだ?どうしたってんだ?」
「うるさいっ!貴様、母さんにっ」

かわされたことにいっそう激昂して、さらに腕をふりまわした。

「なんだ。どこから見てたんだ?覗きは感心しないなあ」
「黙れよッ」

「しょうがねえなあ・・・」

いかにも荒事には慣れていないといったふうな攻撃を易々と逃れながら、藤井がせせら笑う。

「騒ぎになったら、困るのは誰なんだ?」
「・・・ッ!」

「奈津子先生には、どう説明する?なんで、俺を殴ったかって。理由を言えるのか?」
「・・・・・・」

ギリッと歯噛みして。
修一は必死に自制を働かせて、振り上げた拳を下ろした。

「うん、懸命だな。奈津子先生のためにもね」

藤井は勝ち誇るような笑みを浮かべて。
手近な机の上の灰皿に煙草をもみ消した。

「・・・どういう・・・ことなんだよ?」
「そうだな。ここまで知ってしまったら、ちゃんと聞きたいよな」

あくまでも軽く。このなりゆきを愉しむように。
修一は憎悪の火を燃やした眼で藤井を睨みつけた。
聞きたいわけではない。
だが、聞かずにもいられないから。
修一は、固いつばを飲み下して、身構えた。

差し向かいの食事。
いつもと同じ夕べ。
そう、いつも通り。
なにも変わらない。

「・・・・・・」

機械的に箸を動かしながら、修一は母を観察する。
遠慮がちに。
母の様子には、やはりなんの異変も見受けられない。
なにもなかったかのように。
ふと、視線があった。

「どうかした?」
「・・・いや」

問いかけた声も、本当になにげないもので。
警戒や不安の匂いなど微塵もなく。
簡単に答えた修一のほうが、平静を装うのに多大な努力を要した。
結局、静かな夕食が終わるまで、修一は懸命な演技を続けねばならなかった。

「ふう・・・」

食後、すぐに自室へと戻った修一は、そのままベッドに倒れこんだ。

心身に重たい疲弊。頭の中が熱い。
あまりにも重大な事実を知ってしまった、この日。
片手を熱っぽい額にあてがい、半眼を閉じて。
数時間前の藤井との会話を思い出す。
どれだけ苦痛を伴おうと、いまはそうしなければならない。

『まあ、もうわかってると思うけど』

ヤツは──
突然現れて、自分たち母子の平穏な生活を掻き乱すあの悪党は、悪びれもせずにそう言ったのだった。

『二年前、そういう関係だったんだよね。奈津子先生の俺の担任だった一年間』

馬鹿な、と笑いとばすべき言葉。
しかし“あんな関係に戻るのはイヤだ”と、母は叫んだ。
修一はそれを聞いてしまった。
だから、どんなに信じがたくとも、現実として受け入れざるを得ない。

だが。

母の悲痛な叫びは、ふたりの関係のありようをも告げていたはずなのだ。
けっして母が望んだものではなかったということを。

『そりゃあ、最初はちょっと強引だったかな』

しゃあしゃあと。
とぼけたところで、指し示す事実はひとつしかない。
藤井は暴力で母を犯したのだ。
しかし、修一は湧き上がる激甚な怒りのまま、母をレイプした憎むべき男に殴りかかることは出来なかった。
“写真”の存在を、藤井が思い出させたからだ。
卑劣な脅迫の材料。
気丈で高潔で、誰よりも教師という職務に誇りを持つ母に、教え子に体を開くという背徳と屈辱を受け入れさせた、忌まわしい記録は、いまも藤井の手元にあるのだという。

「・・・クソッ」

修一は、力任せにベッドを叩きつけた。
無意味な行為。
そのままいまの自分の無力さを物語るようで。
悔しくてたまらない。
二年前、母が苦痛と不安に苛まれていた時間を、自分はまったく気づいてやれなかった。
そしていまもまた、舞い戻ってきた悪魔に狙われる母に、なにひとつしてあげることが出来ないのだ。
『言うまでもないとは思うけど。
君がすべて知ってしまったこと、奈津子先生には言わないほうがいいよ』もっと漏らしい忠告。
しかし、その通りだと思える。
母は、藤井との関係を自分に知られることを、なによりも恐れているに違いない。
だからこそ、藤井が実習生として戻ってきて以来の内心の懊悩を完全に覆い隠してきた。
さらに追い詰められた今日も、億尾にもそんなことは表さなかった。
感嘆すべきその強さが、切なく悲しい。
それが母親としての情愛のゆえだとわかるから。
その想いに応えようとすれば。
自分は、なにも知らないふりを続けるしかないのだ。

「・・・ちくしょう・・・」

きつく閉じた眦から流れ出た滴を拳でぬぐって。
修一は力ない呟きをこぼした。

翌日からも、藤井の生活態度はなにも変わらなかった。
如才なく授業をこなし、取り巻きの女生徒たちと騒ぎ、男子の敵視を浴びながら残った実習期間を過ごした。
修一は、出来るかぎり藤井の動向を追いながら、その数日を過ごしたが。
知りえた範囲で、母と藤井の接触はなかった。
母の態度にも、なんら変わるところはなかった。
いまや秘密を知ってしまった修一にも、その表情や言動から、些かの変調も見てとることは出来なかった。
そして。二週間の教育実習は終了した。

日曜の朝。

「・・・修一。母さん、出かけるけど・・・」
「・・・んー・・・」

自室のドアの向こうから掛けられた声に、修一は寝ぼけ声で応えた。

「・・・食事、用意してあるから・・・」

ドアを開けようとはせず、休日にも珍しい息子の寝坊を咎めることもなく。
それだけ言い置いて、奈津子は去った。

「・・・・・・」

階段を下りていく足音が消えてから、修一はベッドの上に起き上がった。
寝ぼけた声は演技だ。

目は完全に覚めている──
実のところ、ほとんど寝ていないのだ。
母が部屋に入ってきたときの擬装のためだけの寝巻を脱ぎ捨て、素早く着替える。
そっとドアを開けて、忍び足に階段に寄った。
そっと階下をうかがった時、遠く玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
なおもしばし時間を置いてから、修一は一階に下りた。
母の姿はなく、玄関から靴もなくなっているのを確認して。
自分も通学用のスニーカーを履いて、修一は外に出た。
晴れた午前の空が広がっていた。
こそこそと我が家から脱け出した修一は制服姿だった。
身をかがめるようにして門扉に近寄り、道路をうかがう。
すでに母の姿は見えないが、それでいいのだった。
その行き先が、休日の学校であることを、修一は知っていた。

すでに、藤井の実習は終了した。
明日の月曜日、藤井は全校生徒に別れを告げて、東京へ帰っていく。
だが藤井は、母に拒まれたまま去る気はなかったのだ。
この街への滞在の最後の日である今日、藤井は母を呼びつけた。
今度はハッキリとした脅迫だった。
数日前の準備室での誘いのような、まだるっこしい遣り口ではなく。
奈津子の絶対の弱みである“写真”をネタにしての強制だ。
奈津子は従わざるを得ない。

二年前と同じように。

その頃にも、何度もこうして藤井からの呼び出しに応じていたのだろう。
修一には仕事や所用だと偽って、望まぬ逢瀬へと出掛けていったのだろう。
二年前には、そんな母の言葉を疑いもしなかった修一だが。
いまは母の抱える秘密を、その鉄壁の仮面の下に隠した苦痛を知っている。
知っているが、なにも出来ないことは変わらない。
こうして・・・ひそかに母のあとを追いかけて。
その行為に、なんの意味があるというのか。

休日の通学路を、ゆっくりと修一は歩んだ。
足を速めて、母に追いつくわけにはいかない。
急ぎたいという気持ちがあり、引き返したいという気持ちがあった。
どちらに従うのが正しいことなのか、わからない。
決着のつかない心のまま、修一は母のあとを追っている。
これは、息子である修一にだけは、藤井との関係を知られたくないという母の想いを踏みにじることになるだろうか?多分、そうだろう。
それは理解していても、動かずにはいられない。
せめて、これから母が味わう苦痛を、共有したいという思いがあった。
ただ護られて、そのことに気づきさえしなかった自分への断罪の意味もこめて。
・・・本当は、辛い想像と戦いながらひとりで過ごすことには耐えられなかった。

結局、母の姿を見つけることはないままに学校にたどりついた。
グラウンドからは運動部の生徒たちが練習に励む声が聞こえていたが。
校舎の中はひと気もなく、シンと静まっていた。
それでも修一は周囲を気にかけながら、二階へと上がる。
藤井は実習期間、監督係である教諭の家に下宿していた。
実家が、いまはこの地から引っ越していたからだ。
当然、その部屋で女と(それも、同じ学校の女教師と)会うわけにはいかない。
かといって、ホテルの類を利用することもはばかられる。
女の家は論外だ。
だから、密会の場として、休日の校内という場所が選ばれたのだ。
そういういきさつを修一は知っている。
誰が教えたかは言うまでもない。
そんなことをわざわざ修一に伝える真意は、推し量るしかなかったけれど。
二階の廊下に出た修一は、息をひそめ気配を殺して進んだ。
最奥の国語準備室、その隣りの資料室にたどりついて、そっと忍びこむ。
慎重に閉ざしたドアにもたれて、息を吐いた。
隣室からは、なにも聞こえてこない。
ひとの気配はあるように感じるのも、先入観からだろう。
そこでなにが行われているか。
見て聞くためには、前回のように窓から覗かねばならない。

(・・・本当に・・・)やるのか?と、いま一度自問する。

そこで行われていることを目にして、自分はこらえることが出来るだろうか?
激発せずにいられるだろうか。
自信はなかった。
だが、それでもいいと思って。
修一は、もうひとつの本音に気づいた。
どこかで自分は望んでいるのだ。暴発を。

藤井が母に非道を働く現場を見て、最低の悪党に汚される母の姿を目の当たりにして、ついにすべての自制を砕いてしまうことを。
その場におどりこんで、こらえ続けた拳を、あの男に叩きつけてやることを。
それは、ひとつの破局には違いなかった。
なにより、母の受ける傷は深いだろう。
あるいは、藤井は本当に“写真”を公開してしまうかもしれない。
少しでも冷静に考えれば、それだけはしてはならないことだ。

だが・・・本当はそれが正しい行動なのではないだろうか?

(・・・ダメだ・・・そんなこと。絶対に・・・)

修一はひとりきりの狭い部屋で佇んだまま、懸命に気持ちを落ち着かせた。
だが、危険な衝動は完全には消え去らなかった・・・と。

壁の向こうで、気配が動いたような気がした。
ビクリと反応して、修一はそちらを見やった。

・・・いずれ、迷っている場合ではない。いまさら。

もう一度、大きく息をついて。
修一は窓辺へと向かった。
音をたてぬように窓を開け、周囲をうかがってから、枠に腰を乗せた。
そろそろと。
細心の注意を払いながら、身を乗り出していく。
窓ガラス越しの、準備室の風景が視界に入った。

部屋の中央。
机に上体を伏せた母の姿。
俯いた表情はうかがえない。
高く掲げられた臀は裸だった。
スカートは腰までたくし上げられ、下着は取られている。
剥き身の大きな肉丘、差し込む陽光に艶々と輝くような滑らかな肌を、背後に立った藤井の手が撫で回していた。

「相変わらず、いいお尻ですね。ムチムチ張り切ってて、スベスベで」

愉しげに藤井が言う。

「正直、二年もたってるから、ちょっと不安だったんですがね。奈津子先生の見事なヒップも、タルんで崩れちゃってるんじゃないかって。杞憂に終わって、嬉しいですよ」
「・・・・・・」

奈津子はなにも応えない。
顔を隠したまま、机の上の両手は固く握り締められていた。

「もしかして、僕と切れてる間、誰かほかの男にこの大きなお尻を抱かせてたんですかね?それで、こんなに色気を保ってるとか」
「・・・・・・」

「教えてくれないんですか?」

無言を貫く奈津子の態度は、硬い拒絶の心を表しているに違いなかったが。

「久しぶりだからって、そんなに固くならなくてもいいじゃないですか。楽しみましょうよ、昔みたいに」

藤井はお構いなしに、猫なで声で囁きかけながら、ネチっこい手つきで奈津子の豊臀を愛撫する。

「うーん、どうやらもう少しほぐしてあげないと、調子が戻らないみたいだな」

臀肌を這いまわっていた手が、中心部へと移動する。
こんもりと盛り上がった双臀の狭間へと。

「・・・ん・・・」

奈津子のスーツの肩が強張り、微かな声が洩れた。

「ああ、この感触も久しぶり。柔らかいや」

喉を鳴らすように藤井が言う。
その腕の動きが、潜りこんだ手の蠢きをうかがわせる。

「・・・ふ・・・う・・・」

また奈津子がくいしばるような息を洩らす。
机上の拳にギュッと力がこもった。

「どうです?思い出してきましたか?」
「・・・・・・」

「こちらはだいぶこなれてきてますがね。この反応の良さも変わらないな」
「・・・ふッ、あッ」

一瞬激しくなった蹂躙の動きに、奈津子が頭をふりあげ短く高い声を響かせた。
あらわれた面は微かに上気して、眼鏡の下の双眸はきつく閉じられていた。

「・・・は、早く、済ませて・・・」

アップにまとめた髪を小さく揺らして、口早に奈津子は訴えた。

「うん?それって、もう待ちきれない・・・ってことじゃあ、ないですよね」
「早く、終わらせてッ」

鋭い叫びになった。
それは卑劣な脅迫に屈して恥辱に耐える奈津子の立場からは当然な心理だろう。
しかし、眉間に深い皺を刻み唇を噛み締めたその表情には、苦痛や嫌悪だけではなく、なにかに怯える感情が滲むようにも見えた。

・・・呆然と、修一は見ていた。
ただ眼前の光景を見つめていた。
意識は白く灼けついている。
覗きこむまでの煩悶も迷いも完全に霧消していた。
学校の一室で。

臀を晒して、男の玩弄を受ける母の姿。
ただそれだけの絵図に衝撃を受けて凍りついた修一は、つまり本当には理解していなかったということだった。
母は・・・これから藤井とセックスするのだ、男の欲望を受け止める女としての姿を晒すのだ、と。
そんな当然な現実をいまさらに突きつけられて。
しかし、もはや眼を逸らすことも出来ず。
凌辱者の手に嬲られる母の臀の眩いような白さに釘づけられながら。
息をつめて、ただ修一は見守る。

「早く済ませろ、か。本当に最初の頃に戻ったみたいだな」

妙に嬉しそうに藤井は言った。
その間も双臀のあわいに隠れた手に怪しい動きを演じさせながら。

「ねえ、奈津子先生。今回僕が実習生として戻ってくるって知ったとき、どんな気持ちでした?」
「・・・・・・」

「不安・・・は、あったでしょうねえ、やっぱり。僕が、まだあの画像を持ってたらって。それでまた関係を強要されるんじゃないかってね?」

でも、と藤井は続けた。

「そういう不安や怯えだけじゃなくて。少しは期待する気持ちもあったんじゃありません?」
「・・・馬鹿な・・・ことを・・・」

にべもなく奈津子は否定した。
わずかに乱れる息をこらえながら。

「ありゃりゃ。僕のうぬぼれでしたか。でも、先生のここは、僕の指を懐かしんでくれてるみたいだけどなあ」
「・・・・・・」

「ほら、だんだん溢れてきましたよ。わかるでしょう?いやらしい音が聞こえませんか?」
「・・・くッ・・・」

大きくなる玩奔の手の動きに、奈津子はくいしばる息を洩らす。
苦悶の皺は深くなり、生え際には汗が滲んだ。

「ブレーキをかけることはないでしょう。どうせなら、愉しみましょうよ。あ、それとも」

藤井はもう一方の手をふりあげると、固く緊張の色を滲ませた豊かな臀をピシャリと叩いた。

「アッ・・・」

「昔みたいに、この大きなお尻を打たれないと、エンジンがかかりませんか?」
「や、やめてッ」

「ベルトの鞭を浴びて、鳴いてみますか?あの頃みたいに」
「いやよっ」

奈津子は体をもたげて、背後へと首をねじって藤井を睨みつけた。

「そんなことは許さないわよっ」
「・・・そうですか」

あっさりと藤井は頷いて、

「とにかく先生は、早く終わらせて解放されたいと。わかりました」

諦めたように言うと、腰のベルトに手をかけた。

「まあ、しょうがないですね。結局今回も、写真をネタに言うことをきかせてるわけだし」

柄にもなく自嘲的な述懐を漏らしながら、ズボンとトランクスを脱ぎ下ろした。

「・・・ッ」

すでに漲った姿を現した逞しい肉塊に吸いよせられた眼を、奈津子はすぐに逸らした。

「ここは卑劣な脅迫者らしく、自分の欲望だけを果たさせてもらいますよ。しばし、ご辛抱を」

慇懃な言上とは裏腹な無遠慮な手つきで奈津子の臀を抱えこみ、腰を前へと進めた。

「・・・あっ・・・」

奈津子に竦んだ声を上げさせた暴虐の矛先は、そのまま無造作に抉りこんで、洩れる声を重い呻吟に変えた。

「・・・んん・・・クッ・・・」
「ああ、相変わらず、いい感じですね」

ブルブルと慄く豊臀をグッと抑えこんで、ゆっくりと貫きを続けながら、藤井は賞賛する。

「・・・ム・・・んああッ」

やがて長大な肉塊が根元まで埋まりこむと、奈津子の引き結んでいた唇は解けて、深いうめきをついた。

「フフ、完全に繋がりましたよ。どうです?久しぶりに教え子のを咥えこんだ感想は」
「・・・情けない、わ・・・」

背をたわめ顔を隠すようにして、奈津子は震える声をふりしぼった。

「あ、あなたなんか、と・・・また、こんなことを・・・」
「そうですか。じゃあ、やっぱり早いとこ終わらせましょう」

震える声で拒絶を告げる奈津子に淡白に答えて。
やおら藤井は激しい勢いで腰をふりはじめた。

「ヒッ!?んんッ、ちょ、ちょっと待・・・、アッ、」

前のめりに潰れかかる体を必死に支えながら、奈津子が上擦った叫びを上げる。

「そ、そん、ヒ、いきなり、アアッ」

「早く終わらせるためですからね。少し我慢してくださいよ」
「い、いやッ、やめ・・・ヒイイイッ」

「お、ようやく可愛い声が出てきましたか。もっと聞かせてくださいよ」
「・・・クッ・・・んん・・・フ・・・」

揶揄されて懸命に唇を噛み締める奈津子。
しかし荒々しい突き上げに押し出されるように、引き結んだ口の端から音が洩れる。

「・・・んッ・・・フ・・・んんッ・・・」

そして、その声は徐々に色彩を変えていく。
と、また唐突に藤井は苛烈な攻勢を止めて、深々と貫いていたものを半ばまで引き抜いた。

「フフ、グチャグチャだ。先生のジュースで僕のはベト濡れになってますよ」
「い、いや・・・」

羞恥の声を上げて、奈津子がかぶりをふる。
肩や背があえぎをつき、体が微細な震えを刻んでいる。

「ホラホラ、ここはムズがるみたいに僕のに絡みついて」

愉しげに言いながら、今度はゆっくりとしたリズムで、藤井は腰を送りはじめる。

「・・・アッ、アッ・・・」

「“ここ”と同じに素直になってくれれば、お互いにもっと楽しめるのに」
「ヒイッ、あっ、ダメッ」

「わかってますよ。ここでしょう、ここが弱いんですよね」
「アヒッ、イヤッ、アアアッ」

大きなストロークで攻め立てながら、藤井が卑猥に腰をまわせば、奈津子の声は切迫して、ほとんど純粋な嬌声になった。
両肘が崩れ、机に突っ伏した横顔は上気しきって汗にまみれている。
眼鏡ごしの双眸は潤んで、焦点をなくしていた。

「そろそろ率直な言葉を聞きたいですね。気持ちイイんでしょ?奈津子先生」

重く抉りこみ掻き回しながら、藤井が訊く。
机に頬を擦りつけるように頭を左右にふって、奈津子は精一杯の否定をあらわした。

「そうですか。まだ足りないというわけだ」

必死な抗いを哂った藤井は、汗にぬめる臀を掴んでいた手を、繋がった部分へとすべらせた。
立てた指を、ズブリと奈津子の後門に挿し入れる。

「ヒイイッ」

奈津子はギクッと顎を逸らして、甲高い叫びを迸らせた。

「い、イヤッ、そ、そこはっ」
「物欲しそうにヒクついてましたからね。ホラ、喜んで僕の指を食いしめてる」

悲鳴のような声を愉しげに聞きながら、藤井は指を注挿させた。

「アアッ、イヤ、やめて、そこは、アアッ」

「これもお好きでしたよね?前後の穴を同時に責められるのが」
「ヒッ、アアッ、ダメ、ダメ、いやぁっ」

指の抜き挿しに合わせて腰を使われれば、もう奈津子は噴きこぼれる声を抑えられない。
構えも備えもなくした剥き出しの叫びを絶え間なく響かせはじめる。
きつく眉根を寄せキリキリと歯を食いしばった表情も、苦痛に耐えるというよりは、こらえがたい感覚を享受するように見えた。

「お尻が踊りはじめましたよ」

裸の臀が微かな揺動を演じだしたのを藤井が指摘する。

「い、イヤァッ」

泣くような声を上げて、奈津子は意識を裏切りはじめた体を必死に抑えようとするが。
ズンと深く突きこまれれば、生臭いようなうめきとともに儚い抵抗は潰えて。
再開する臀のうごめきは、いっそう生々しく卑猥なものに変わっていく。

「あぁ、こ、こんな、」

羞辱の涙が溢れ、弱りきったすすり泣きの声が洩れた。

「無理することないですよ」

口調だけは優しく、藤井が囁きかける。

「先生のこの熟れた体が人一倍感受性が豊かなこと、僕は充分に承知してますからね」

奈津子の背に乗りかかるようにして、汗を滲ませた首筋に顔を寄せた。

「だから、素直な声を聞かせてくださいよ。キモチイイ、久しぶりの若いチンポ美味しいって」
「い、いやッ」

奈津子が激しく顔をふった。
耳元に吹きかけられる藤井の息と卑猥な台詞を払おうとするように。

「・・・そうですか」

急に冷淡な口調に変わって。
藤井は腰の動きを止めた。

「・・・あ・・・」
「やっぱり、もう以前のようには楽しめないということですかね」

不意の中断に訝しげな声を上げた奈津子の中から、また剛直を半ばまで引き抜く。
入り口のあたりでユルユルと浅い注挿をくれると、グチュグチュと淫靡な水音が響いた。

「アッ、あ、ハッ」
「残念だな」

舌足らずな、どこかもどかしげな声を断続させる奈津子に、藤井は淡々と言葉を繋いで、

「じゃあ、やめにしますか?」
「・・・え・・・?」

奈津子はハッと眼を見開いて、後ろへとふりかえる。

「奈津子先生の気持ちはよくわかりましたし。このままじゃ、僕も楽しくはないんでね」
「あっ・・・」

さらにズルリと藤井は腰を引いて、奈津子から微妙な声音を引き出しておいて。
しかし、完全に結合が解ける直前で転進すると、一気に最奥まで貫いた。

「んっ、あああっ」

喜悦の─そうとしか聞こえない─叫びを奈津子は迸らせて、ガクガクと腹這いの肢体を震わせた。
だが藤井は、そのまま本格的な攻めを再開しようとはせず、反射的なのたくりをうつ熟れ臀の動きをかわしながら、また剛直を抜き出してしまう。
ギリギリまで。

「アアッ、いやぁッ」

咽び泣きながら、必死に追いすがろうとする奈津子の臀をガッチリと押さえこんで、ヌプヌプと浅瀬を掻き回す。

「本当に、やめにしましょうかね」
「・・・フ・・・アッ・・・」

切ない息を弾ませながら、奈津子は潤んだ眼で藤井をふり仰いだ。
半ば開いた唇が、逡巡にわななく。
微笑んで、藤井は、もう一度同じ行為を繰り返した。
奈津子の最終的な屈服を引き出すには、それで充分だった。

「や、やめないでっ」

奥深く嵌まりこんで歓悦の叫びをふりしぼらせたものが、またズルズルと後退しはじめたとき、奈津子は夢中で訴えた。

「つ、続けて、おねがいっ」
「ようやく、ですね」

口の端を歪めた藤井が、激しく腰を叩きつけた。

「アアッ、い、いいッ」

血の色を昇らせた喉を反らして、奈津子は手放しのヨガリ声を張り上げる。
一度自制を崩されてしまえば、もう止め処もなく。

「いいっ、いいの、もっと、もっと突いてぇっ」

あさましい言葉を吐き散らしながら、狂ったように腰をふり臀を悶えさせた。

「フフ、そうでなくっちゃね。奈津子先生は」

淫欲に敗れた女教師を冷たく見下ろしながら、藤井はかさにかかって責め立てた。
緩急をきかせた腰使いと尻穴を穿った指で、奈津子の官能を煽り立て、さらなる狂乱へと追いこんでいった。

「ああ、ダメ、私、もう・・・」

ほどなく、奈津子が切迫した声を上げて、ブルルと背をわななかせた。

「アアッ!?い、いやあッ」

だが藤井は、そのタイミングを待っていたかのように動きを止めて体を引いた。
今度は完全に奈津子の中から肉根を抜き出してしまう。

「イヤ、いやよっ、藤井くん、やめないで、続けてッ」

半狂乱になって泣き喚き、掲げた臀をふりたくる奈津子を無視して後ずさると、手近の椅子を引いて腰を下ろした。

「邪魔なものは脱いで、じっくり楽しみましょうか」

膝にからんでいた下着とズボンを脱ぎ捨て、隆々と屹立したままのものを見せつけるようにしながら言った。

「あぁ・・・」

哀しげな吐息を漏らして、奈津子がのったりと身を起こす。

「・・・全部、脱ぐの?」
「ええ。先生も随分汗をかいてるし。僕も、ちゃんと奈津子先生の体を見たいですしね」

「・・・・・・」

それ以上、奈津子は躊躇しなかった。

上着を脱ぎ、腰にまるまっていたスカートを引き下ろした。
藤井の指摘通り、汗で貼りついたブラウスを脱ぎ、白いブラジャーを外した。
藤井の眼を気にする様子を見せながらも、手を止めることはなかった。
全裸にパンプスだけの姿になった。

豊満な熟れ切った肢体が、明るい光の中に現れる。

「いいですね。どこも崩れていない。相変わらず、綺麗でいやらしいカラダだ」
「・・・いや・・・」

藤井の賛美に、奈津子は身をすくめ微かに腰をよじった。
白昼の校内で素肌をさらしたことに、わずかに理性を蘇らせたのか、

「・・・本当に・・・こんなことになるのは・・・いやだったのに・・・」

力無く、独り言のように呟いた。

「わかってますよ。僕との過去は忘れてしまいたかった。こんな関係に戻ることを、先生は本気で恐れていた」

でも、と、藤井は続けた。

「それだけでもなかったでしょう?」
「・・・・・・」

「それとも。やっぱり、ここまでにしときますか」

そう言いながら、藤井は招くように手を差し出した。
フラリと、奈津子が足を踏み出す。
藤井へと歩みよっていく。
滑らかな白い背肌が汗に輝いている。
歩みにつれて巨きな臀が揺れ弾み、汗とは違った濡れが内股にのぞく。
乱れながらもアップにまとまったままの髪型と、地味な眼鏡だけが、普段の姿の名残りだった。
その眼鏡も、藤井の手で外された。

「そのまま、跨がっておいでよ」

奈津子の手を引き寄せながら、藤井が命じた。
ああ・・・と、恥辱と昂ぶりの混ざった息を吐いて。
奈津子は言われるままに、ムッチリと肉づいた太腿を開いた。
藤井の両脚を跨いで、片手にとらえた剛直の上に臀をおとしていく。
熱く濡れそぼった秘苑に切っ先が触れたところで動きを止めて、藤井を見つめた。

「・・・忘れられなかったわ。あなたを」

心の奥底の秘密を明かすように告げて。
奈津子は体を沈めた。

「フッ、ああ、は、入ってくるぅ」

ズブズブと、自らの重みで太い肉根を呑みこみながら、喜色に満ちた声を響かせる。

「ん、アアッ、深い、奥まで」

やがて藤井の腰に密着した豊臀をビクリビクリと震わしながら、奈津子は両腕で藤井の首にしがみつく。

「すごい締めつけですね。昔より反応が激しいんじゃないですか」
「あぁ、だ、だって」

「二年も放っておかれたから、溜まってたってわけですか。僕とのことを思い出して、自分で慰めたり?」
「ああ、いやぁ」

否定するのではなく、媚びるように鼻を鳴かせて。
奈津子は藤井の唇にむしゃぶりついた。
自ら仕掛けた濃厚なキスに耽溺しながら、若い雄肉を咥えこんだ臀をユサユサと揺らしはじめる。

「ああ、いいわ、いいッ」

堪えかねたように離した唇から、歓悦の女叫びが噴き上がる。
踊り狂う臀の動きは、際限もなく激しく淫猥になっていく。

「まったく。こんな姿を見たら、他の教師や生徒たちは、なんて言うでしょうねえ」

時折、腰を突き上げて奈津子の狂熱をあおりながら、藤井が嘲笑する。

「学校の中で素っ裸になって。元教え子の上に跨がって。大きなお尻をふりたくって、ヨガリ狂ってるなんて」
「いやぁッ」

頭をふりながら、しかし奈津子の淫らな動きは止まらず、むしろいっそう激しくなっていく。

「特に、修一くんが、こんな母親の姿を見たら。どう思いますかね。彼も、あまり僕にいい感情は持ってないみたいだから。それが、自分の母親とこんな関係だなんて。知ったらショックだろうなあ」
「あぁ・・・言わないで」

「そんな悲痛な声を出したって。いやらしい腰の動きは止まってないじゃないですか。ほらほら」
「アヒイイッ」

両手に抱えた臀を藤井が『の』の字に回すと、奈津子は高い嬌声を迸らせて、背を反らした。

「もう、もうどうなってもいいっ」

官能の業火の中で、すべてを投げ出す言葉を叫んだ。
教師としての矜持も、母親としての心も。
この肉を灼く悦楽以外のものはなにもいらないと。

「ヒイッ、あ、イイッ、くる、きちゃう」

そして、その放擲の言葉が、すでに臨界近くをさ迷っていた官能を急速に押し上げた。

「ふ、藤井くん、私、もう」

「いいですよ。昔のように言いながら、派手にイッてみましょうか」
「アアアッ、イクッ、オマンコ、いっちゃう、来て、一緒に、一緒にッ」

二年前に教えこまれた台詞を口走り、奈津子は、豊かな乳房を押しつけるようにきつく藤井の首を抱きしめながら、若い牡の精をねだった。

「しょうがないですね。ホラッ」
「アアッ、イク、イクッ、アアアアアッ」

大きく突き上げられて、奈津子が極みに達する。
絶息の叫びとともに、淫らな汗にまみれた裸身が硬直し、やがて凄まじいような痙攣を刻んだ。

・・・グッタリと力を失ってもたれかかる奈津子の体を、藤井はぞんざいに引き剥がして、床へと下ろした。
裸の臀を床に落して、辛うじて片手で横座りの姿勢を支える奈津子の前に脚を開いて、

「終わったあとは、どうするんでしたっけ?」

居丈高に言った。
情事のあと急に偉そうになる男・・・というのを、意図的に演じるようにも見えた。

ノロノロと顔を上げた奈津子は、いまだ覚めぬ余韻にけぶった眼を、藤井の股間へと向けると、重そうな体を前へと進めた。
もたげた臀の深い狭間から、たっぷりと射こまれた精汁が滴った。
だが奈津子は、汚された自分の体はそのままに、男の始末をするため、股座へとりついていく。
多量な男精と女蜜にまみれて、しかし力強さを残した肉根を、そっと握り締め、顔を寄せた。
丁寧に舌で清めた。
清められた若い雄肉が漲りを取り戻すと、いっそう熟女教師の奉仕には熱がこもって。

「・・・フン・・・んんッ」

昂ぶった息に鼻を鳴らしながら、張りつめた肉冠を頬張り、首をふりたてた。

「久しぶりの味は、格別でしょう?」

頭上から訊かれれば、蕩けた眼に甘い恨みの色を滲ませて藤井を見上げたが、口の動きは止めない。

「次は、後ろの穴にブチこんであげましょうか?先生はアナル・ファックも大好物でしたよね」
「・・・・・・」

口を離した奈津子は、なんとも答えず。
ふっと表情をかげらせた。

「どうしました?後ろはイヤなんですか?」

意外そうに藤井が訊くと、奈津子は小さく、しかしハッキリと首を横にふって。
握り締めたままの藤井の肉体を、ゆるゆると扱きたてながら、

「・・・また・・・あなたと、こんなことになってしまって・・・」

弱い声で呟いた。
嘆くように、哀しげに。

だが、「・・・でも・・・明日には、あなたは、東京に帰ってしまうのね」そう続けた言葉こそが、本当に言いたかったことであるらしかった。

「そりゃあ、先生次第ですよ。東京といっても、電車で二時間だ。会えない距離じゃない」
「・・・・・・」

「先生次第です」

藤井は繰り返した。
勝ち誇るような倣岸な笑みを浮かべて。

「これまで通り、僕とのことはなかったことにして暮らすか。それとも・・・」
「・・・・・・」

奈津子は眼を伏せて。
そして、コクリと頷きを返した。

「じゃあ、もう少し楽しみますか」

藤井は、優しく奈津子の頬を撫でると、床に脱ぎしてたズボンを拾い上げ、ベルトを抜き取った。

「尻を向けて」
「あぁ・・・」

昂ぶりの声を洩らして、ネットリと熱をたたえた眼で藤井の手の皮のベルトを見やって。
奈津子は立ち上がる。
藤井に背を向けると、剥き身の豊かな乳房を揺らしながら、上体を前へと倒した。
両手を机に突き、両肢を大きく広げる。
高く掲げた巨きな臀に、グッと気合いを滲ませて。

「う、打ってっ」

二年前に教えこまれた被虐の悦楽を、その肉と心に蘇らせて。
女教師は熟れ臀を揺すり、期待に震える声で懇請する。
かつての教え子、長い空白を越えて、再び彼女の支配者となった年若い男に。
白昼の密室に、肉打つ音と歓悦の女叫びが交互して響きはじめた。
窓の外、窃視者の姿は、すでに消えていた。

月曜日。
朝礼の場で全校生徒への別れを告げて、藤井は去っていった。
シンパの女子生徒たちは大袈裟に嘆き、敵視していた男子生徒たちは喜んだが。
どちらにとっても、しょせんは、ひとつのイベントが終了した程度のことだった。
すぐに話題にも上らなくなった。
その存在を忘却の彼方へ追いやれないのは・・・修一だけだった。
生徒の中では、ということだが。

奈津子の様子にも、変わったところはなかった。
学校では謹厳なベテラン女教師であり、家では良き母である。
母子の関係も、特に変わりはない。
相変わらず、良好といえる。

唯一、奈津子の生活の中の変化は、週末になると家を空けるようになったことだ。
土曜の午後から出かけ、帰るのは日曜の夜というパターンが多かった。
理由については、仕事がらみのこととされている。
そんな曖昧な説明しか、告げられなかったのだが。
修一はとくに追及はしなかった。
いそいそと母は出掛けていき、憔悴と充足の色をたたえて帰ってくる。
そんな姿を、冷静に観察している修一の眼を、気にかけるでもなく。
不自然な自分の行動についても、顧みる様子はなかった。
表面的には良好さを保っているとはいっても。
母子の会話は減り、心は通わなくなっている。
それについても、修一は、どうしようとも思わなかった。

そんな状態のゆえもあって、まだ母には告げていないが。
修一は、進学先を地元から地方の大学へと変えようと決めていた。
ランクも場所も拘らない。
とにかく現役で合格して、どこか遠くの地で、ひとり暮らしをする。
藤井が教師として母校に戻ってきてもいいように。
必ず、自分は、この街を、この家を出ていこうと、修一は決意している。