俺、本当にM先生と出会えて幸せでした その2

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翌日はもうすっかり春を思わせる陽気だった。

俺は朝からもう居ても立ってもいられない状態で、何度も何度もM先生に会ってからのことをシミュレートしていた。
ただいくらシミュレートをしてもやっぱり想像は想像でしかなく、今ひとつしっくり来ないばかりか、返って緊張感が高まってしまい逆効果のような気もした。

午後になり学校へ向かう。
体がふわふわしていて、歩いていても自分の足じゃないみたいでどうにも足取りが覚束ない。
学校に着けば着いたで、昨日まで当たり前のように闊歩していた校内が、卒業してしまうとただの不法侵入者になってしまうのかと思うとちょっと不安を覚えた。
見慣れたはずの景色がなんだか妙に他人行儀な気がして居心地の悪さを感じる。
俺は誰にも見られないように足早に駐車場に向かった。

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俺は駐車場でM先生の車を確認すると、すぐ近くにある物置のような建物の影に腰を下ろした。
周りには色々なガラクタ類がたくさん置いてあり、ここなら余程のことが無い限り人には見つかる心配もない。
体が落ち着くと、今度は急に「俺は一体何をやってるんだ?」という思いが去来する。
独り善がりもいい加減にしろよみたいな感情も湧き上がってきて、かなりナーバスな状態になっているのが自分でもよく分かる。

しかしあと2、3時間もすればM先生は帰宅するために間違いなくここにやってくる。
もう今さら足掻いても仕方がない。

覚悟決めないと。

目を瞑り、深呼吸を繰り返す。
間違いなく入試の前より緊張してるなと思うと妙におかしくて、少し緊張がほぐれた。
賽は投げられたってこういう時に使う言葉なんだなぁとか、関係ないけど漠然とそんなことを考えていた。

それから数時間が経ち、周囲が暗くなり、体育館の部活の声も聞こえなくなった。
既に何人かの教師が50mほど離れた教職員通用口から現れては車に乗り込み帰宅していった。
しかしM先生はまだ出てこない。

早く出てきて欲しいような、このまま出て来ないで欲しいような複雑な心境。
気持ちが落ち着かない。
しかし駐車場の車が半分くらいになった時、ついにM先生が通用口から現れた。
幸いなことにM先生は一人で、他の教師と一緒だったらどうしようという心配は杞憂に終わった。
しかしこれでもう逃げ道も無くなった。

俺はいきなり飛び出して驚かせてはいけないと思い、M先生が近づいてくる前に車の側に早めに立った。
心臓の鼓動が早くなり、足には力が入らない。
何か頭がクラクラする。

M先生が俺に気付く。
いや正確には俺とは気付いていないかもしれない。
誰がいるんだろうという感じで目を凝らしている様子が窺える。
俺は自分から声を掛けようと思っていたのに、緊張で一言も発することが出来ず、ただ突っ立ったままだった。
案の定、散々行ったシミュレーションは初っ端から何の役にも立ちはしなかった・・・。

「・・・A君?」

M先生が声を掛ける。

「・・・うん」

正しく蚊の鳴くような声で返事をする俺。
情けない・・・。

「何やってんの、こんなとこで?びっくりするじゃない。もー」

M先生がホッとしたような声を出す。
明るい声で、思ったよりも全然不審がられていない様子でちょっと気が楽になる。

「何?待ち伏せ?もしかして私のこと待ってたの?ww」

少しふざけた口調ながらも、俺の欲目かM先生も心なしか喜んでいるようにも見える。
でも俺の行動はすっかり読まれてる感じ。

「・・・うん、ちょっと」
「ん?どうしたの?」

「・・・うん、ちょっとお礼を言おうと思って・・・」
「お礼って?」

「だから・・・今までお世話になったお礼・・・」
「お礼なら昨日聞いたよーww」

M先生が悪戯っぽく笑う。

「いや、そうじゃなくて・・・」

M先生は余裕なのに、俺の方はこの時点ですっかり喉がカラカラの状態で、緊張のあまり呂律も廻らなくなってきた。
しかしここまできたら、もう逃げ出すわけには行かない。
俺は一気に今日ここに来た理由をまくし立てた。

M先生のことがずっと以前から気になっていたこと。
古典の補講もM先生が担当だったから受けたし、すごく楽しかったこと。
放課後の教室での激励がほんとに嬉しくて、その後少しだけど自信が持てたこと。
補講を受けられなくなった時は残念だったこと。
受験前に貰ったお守りとメッセージがびっくりしたけどすごく嬉しかったこと。
そして、好きだっていう気持ちをどうしても、直接会って伝えたかったこと・・・。

恥ずかしさのあまり俺はM先生の顔は全く見れなかったけど、半ばヤケくそ気味にこの1年間の思いの丈をM先生にぶつけた。
所々つっかえたけど一通り言いたいことを言って、俺が顔を上げると、意外にもM先生はすごく真面目な顔をして俺のことを見つめていた。

「・・・もう終わり?」
「・・・はい・・・」

少しの沈黙の後、M先生が喋りだした。

「A君ありがとね。実はね、私もA君にお守りをあげたことが気にはなっていたの。教師としては特定の生徒にだけそういう事をするっていうのはやっぱり良くないことだし、A君にも返って余計なプレッシャーを与えちゃったんじゃないかなって・・・」
「そんなこと・・・」

「でもね、そういう風に思ってたけど、今のA君の話を聞いてたらやっぱりあげて良かったなって思ったよ。教師としてはダメかもしれないけど、A君がずっとそうやって思ってくれてたんだったらそれはそれで良かったのかなって。その事がずっと気になってたけど、今日A君が言ってくれたから私も言えて良かったよ」

さっきまでの調子と違い、M先生は真剣な口調でそんなことを言った。
俺はまさかM先生がそんな風に考えているとは思わなかったし、嬉しくもあったんだけど、何と返事をして良いかが分からず、ただ無言で立ちすくんでいた。
何か言わなきゃと焦るけど言葉が出てこない・・・。

・・・と、その時、助っ人が現れた。
と言ってももちろん誰かが助けに来てくれたわけじゃなくて、ちょうど教職員通用口が開いて誰かが駐車場に向かってくるのが見えたんだ。

「先生、誰か来る!」

ある意味、我に帰るM先生と俺。

「ごめん!もう1回隠れててくれる」

M先生の言葉を待つまでもなく、俺は慌ててさっきまで潜んでいたガラクタの陰に身を潜めた。
現れたのは普段から口うるさい教頭。
こんなところを見つかったら、俺はともかくM先生の立場はまずいことになる可能性もある。

教頭とM先生は二言三言言葉を交わし、最後はM先生が挨拶して車に乗り込んだ。
と思ったら、M先生、車のエンジンをかけて走って行っちゃった・・・。

まさかこのまま置いてけぼりってことは無いとは思うけど、呆気にとられる俺。
しばらくして教頭の車も走り去り、辺りが静かになる。

殺風景な駐車場で一人ポツンと立っていると、しばらくしてM先生の車が戻ってきた。

「ごめんね。あのまま駐車場にいると変に思われそうだったから一旦外に出ちゃったよ。置いていかれたと思った?」
「いや、さすがにそれは無いと思ったけど・・・びっくりした」

「ごめん、ごめんww」

戻ってきたM先生はさっきの様子とは打って変わって、上機嫌でコロコロ笑っている。
俺が駐車場で一人ポカンとしているところを想像したら可笑しくなっちゃったらしい。

そう、M先生って意外とこんな風に笑う人なんだよな。

俺は今更ながらM先生との色々なやり取りを思い出しながら、ちょっと気持ちが解れた。
M先生は俺のそんな気持ちの変化を気にする素振りも無く、「ここにいるとまた誰か来たら置いてきぼりになっちゃうね。ね、お家が大丈夫だったらこれから一緒にご飯でも食べに行こうか?進学のお祝いしてあげるよ」と、ごく自然な感じで俺を誘ってくれた。

まさかM先生の方から食事に誘ってくれるという意外な展開。
この流れも俺の事前シミュレーションには全く無かった。
・・・というか、良い意味で想定外すぎる。

俺は二つ返事でOKし、M先生の車に乗り込ませてもらった。

「校門出るまでは隠れててよww」

なんとなくこの状況を楽しんでいるような表情で笑うM先生が可愛いっ!!
それに車の中は何とも言えない良い匂いに包まれていて、まるで夢のような気分。

俺は助手席で身体を小さく丸めながら、この展開が現実なのかと頬をつねりたい気分だったけど、そんな心配をするまでもなく、それは俺が想像することすら出来なかった夢のような現実だった。

「あー、ドキドキしたねーww」

校門を出るとM先生が話しかけてくる。
しかも昨日までの会話とは微妙に口調が違っている気がする。
言葉に親近感があるというか、親しみが込められているというか・・・。

(・・・もしかしてこれはデートというものなのか?)

成り行きとは言え、生涯初のデートを思いもよらずM先生と出来るなんて、こんな幸せなことがあっていいんだろうか・・・。
俺はしみじみと幸せを噛み締めた。

それからの数時間は正に夢心地だった。
地元では知り合いに会うかもしれないということで、俺たちは少し離れた場所にあるショッピングモールまでドライブし、その中のステーキハウスで夕食を食べた。
正直、俺は緊張と興奮で味はよく分からなかったけど、この1年間のトータルよりもはるかに多い量の会話をM先生と交わすことができた。

俺は、M先生がよく笑う、思っていたよりもずっと気さくな人だって知って、改めて魅力に取り憑かれてしまったんだけど、M先生はM先生で「A君って意外とよく喋るんだね。そんな風に明るくしてたらもうちょっと女の子にモテたかもよぉw」なんて褒めてるような嫌味のようなことを言って俺のことを馬鹿にした。

でも楽しい時間ってほんとあっという間に過ぎてしまう。
食事を終え、8時を過ぎたくらいになると、M先生が「そろそろ帰らないとね」と言い、俺たちは店を出た。

「えーっと駅は◯◯駅でいい?送ってくね」と、M先生が駐車場で言う。

でも俺はこの夢のような時間が終わるのが嫌で返事が出来ない。
それに駅で別れるといっても、それは今までのように「また明日」っていうような別れとは違い、地元を離れる俺からすると、下手をしたらこれがM先生との最後の別れになるかもしれないわけで、そう考えると俺はとてもじゃないけど返事が出来なかった。
俺はこの時も何といって良いか悩み、無言で立ちすくんでしまった。

「どうしたの?」

訝しむようにM先生が尋ねた時、俺は意を決した。
見えないか何かが背中を押してくれたような感覚。
多分それは俺がM先生のことを心底好きだという気持ちそのものだったんだと思う。

この何時間M先生と話をして、俺はもちろんだけどM先生にしても少なくとも俺に対して好意を持ってくれているというのは分かった。
例えそれが恋愛という感情ではないにせよ、M先生が俺を食事に誘ってくれて、この時だけは二人だけの時間を過ごしてくれたことは紛れもない事実。
俺はここで勇気を出さずに一体いつ出すんだという思いで口を開いた。

「・・・ねぇ先生。俺、まだ帰りたくないです・・・」

「えっ!?」

M先生が驚いたような顔で俺を見つめる。

「・・・まだ帰りたくないです」
「・・・でも、そんなこと言ったってどうするのよw?家の人だって心配するし、時間が時間だから私だってもうこれ以上A君のこと連れ回せないよ」

「家は大丈夫。ただ俺もうちょっと先生と一緒にいたい。それに今ここで別れたらもう二度と先生に会えなくなるかも知れないし・・・」
「もう、大袈裟だなぁ。大丈夫、また会えるよ。A君また会いに来てくれればいいじゃないw」

「・・・」

「ね、だから行こう」

そう言ってM先生が俺を促す。
俺はどうしても足が動かない。

「・・・ねっ、行こ」

業を煮やしたのか、M先生が俺の手を取り引っ張ろうとした時、再び俺の中で何かが破裂した。

「・・・先生」
「ん?」

「・・・先生、俺、先生とキスしたい・・・」

ついに言ってしまった。

「俺、今まで誰とも付き合ったこと無いし、キスだってしたことない。だからって言うのも変だけど、俺先生に最初の相手になって欲しい・・・」
「・・・」

「・・・駄目?」

M先生が明らかに戸惑っているのが分かる。
なんと答えて良いかを考えている様子。
だだっ広い駐車場を風が吹き付ける中で沈黙が続いた。

「・・・ごめんね。でもいきなりそんなこと言われても、教師としてはそういうことはできないよ・・・」

しばらくしてM先生が口を開く。

「俺、もう生徒じゃないです・・・」
「それはそうだけど・・・。でもやっぱりそれは無理。・・・ごめんね・・・」

M先生の困った顔。
そんな顔も魅力的ではあるけど、やっぱり現実は甘く無い。

「そっか、やっぱり無理だよね・・・」
「ごめんね。でも、そういう風に言ってくれるのは嬉しいよ。ありがと」

そう言うと、M先生は微かに笑い、「キスは無理だけど、握手」と言って俺の目の前に右手を差し出した。

「ね、握手しよ」

M先生はもう一度言うと、失意と緊張で固まっている俺の手を取るとギュッと力を込めた。

M先生の細くてしなやかな指の感触と手の温もりが伝わってくる。
俺はM先生を見つめた。
M先生も真正面から俺のことを見ている。
俺が1年間見つめ続けてきたM先生が目の前にいる。
やっぱり堪らなく愛しい・・・。

俺はもう駄目だった。
雰囲気に呑まれ、完全にM先生に酔っていた・・・。

俺は力づくでM先生の手を引っ張ると、有無を言わせず抱きしめてしまった。

「きゃっ!」

小さな悲鳴を上げるM先生。

「先生ごめん。でも俺止まらなくて・・・」

そのままの状態で言い訳をする俺。
あごの辺りにM先生の柔らかい髪の毛の感触。
細い肩と大人の女性特有の甘い香り。
M先生は無理に抵抗することなく俺に身を預けたままでいる。
頭の中が真っ白になる。

「・・・先生、俺先生のこと好きです。付き合ってくれなんて大それたことは言えないけど、今日だけでいいんで、今日だけ俺と付き合ってくれませんか・・・」

気持ちの異常な昂ぶりにも関わらず、俺は自分でも驚くほど冷静に、そして思いっきり大胆な本音を口にした。

「・・・付き合うって?」

俺の胸の中でM先生が小さく尋ねる。

「・・・今日だけ、付き合うって・・・どういうこと?」
「・・・だから今日だけでいいんで、俺とずっと一緒にいて欲しいってことです・・・」

俺は怯みそうになる気持ちを抑えて必死に答えた。

M先生は俺の胸に両手を添えると、俺の体を押すようにしてゆっくりと俺から離れた。

「・・・A君、それ本気で言ってるの?」
「・・・うん・・・」

至近距離から俺を見つめるM先生に、声を絞り出すように返事をする俺。
少しの沈黙。

「A君、そんなこと簡単に言うけど、それってすごく大変なことだよ・・・ほんとに本気で言ってるの?」
「本気も何も、俺はM先生が好きですから!」

吹っ切れたように俺がそう言葉に力を込めると、M先生は困ったような表情を浮かべ俯いた。
髪の毛がパサリと落ちてM先生の顔を隠す。
俺は俺でもうこれ以上何か言うのは気が引けるような気もしたし、何よりもこれ以上は体に力が入らない。
立っているだけで精一杯。
なんか一瞬で自分の全精力を使い切った気がした。

居心地の悪い時間が随分と長く感じられた後、M先生がようやく口を開いた。

「・・・ねぇ、A君?」
「・・・はい」

「・・・困ったね・・・」
「・・・」

俺がM先生の真意が分からず黙っていると、M先生はかすかに笑うと「ちょっと、ここで待ってて」と言い残し、建物のほうへ歩いていった。

駐車場に立ち尽くす俺。
M先生の真意は分からないけど、ただ俺にはもう退路が無いことだけは間違いなかった。
言うことを言ってしまった以上、後はM先生の判決を聞くだけ。
俺は脱力感と共に、一種の清々しい気持ちさえ覚えながらM先生の戻りを待った。

M先生は数分で戻ってきた。
その顔にはほとんど表情がなく、見ようによっては怒っているようにも見えた。

(あー、やっぱり怒ってるのかな・・・)

急に不安になった俺に対して、M先生はいつものように正面から真っ直ぐに俺の目を見つめると、少し息を吸い込み「本当にお家は大丈夫なの?もし家に帰らないつもりだったら、お家の人が心配しないように連絡だけはちゃんとしておかないといけないよ。最低限それだけはお願い」と小さく俺に命じた。

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