番台のオジサンに視姦の母娘丼をされた屈辱

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高校3年のときの出来事ですから、もう6年前になります。

放課後の部活練習中、突然の大雨に遭いました。
雨に打たれてビショ濡れになり、練習着のまま帰宅しました。
ずぶ濡れの私を見て母は、「あら、それじゃ風邪を引くわよ。これからお風呂屋さんに行くんだけど一緒に来る?温まるわよ」と誘ってきました。
母はお風呂の道具を持って出かけるところでした。
母はその頃、週に何度か近所の銭湯に通っていました。

(銭湯で温まるのはいいけど、近所のオバサンたちに裸を見られるのは嫌だし、どうしようかなぁ?)

私が迷っていたら、母は私の着替えを持ってきて、「出かけるよー!」と一言。
気圧されて、つい「うん」と答えてしまいました。

家から数百メートル歩くと高い煙突と建物が見えてきます。
小学校低学年の頃、父に連れられて来た記憶はありますが、利用するのはそれ以来です。
入口で男女左右に分かれ、『女湯』と書かれた引き戸を開けて母に続いて脱衣場に入った私は愕然としました。
なんと番台に、たまに顔を合わせるオジサンが座っていたからです。
オジサンの座っている位置からは脱衣場全体が丸見えです。
近所のオバサンたちでも抵抗があるというのに、顔見知りのオジサンに裸を見られてしまうなんて。
私は頭の中が真っ白になってしまいました。
でも母は、そんな私のことなどお構いなしに、「今日は娘も一緒なんですよ」とオジサンに気軽に話しかけています。

21歳で私を産んだ母はその頃まだ30代後半で、友達のお母さんたちと比べても抜群に若く、そしてキレイでした。
ちょっと悔しいけど、今でも父似の私より母の方がキレイです。

母は番台のすぐ近くのロッカーを選ぶと、オジサンを気にする様子もなく裸になり、さっさと洗い場に入っていきました。
その様子を見ながら私は、(ヤダー!お母さんたら。いくら銭湯だからって、他所の男の人に裸を見られて恥ずかしくないの?)と不思議に思いました。
母の様子には、オジサンに対する羞恥心や警戒心が全く感じられません。
銭湯なんだから裸を見られても恥ずかしがることはないと、無頓着で体育会気質の母は割り切っていたのでしょう。

性格面でも父に似て神経質な私は、番台からかなり離れたロッカーを選んで濡れた練習着を脱ぎ始めました。
気恥ずかしいので番台の方には目をやりませんでしたが、オジサンにずっと見られているような気がして落ち着きませんでした。
しかも、胸から下をタオルで隠したいのに、着替えの中に肝心のタオルが見当たりません。
モジモジしていると、母が前も隠さないで私の様子を見に洗い場から出てきました。

「お母さん、私のタオルは?」

「あ!忘れてた!」

なんともあっけらかんとした一言。
気恥ずかしさを押し殺して、私は俯き加減で母の後について洗い場へ向かいました。
カランの前に座り、髪と顔と全身を洗い流して浴槽に浸かっていると、母は「先に上がるからね」と言い残して、洗い場から出ていきました。
脱衣場に出ようと洗い場から顔を出すと、母は番台のすぐ近くで素っ裸のまま、オジサンと親しそうに話をしながらタオルで体を拭っています。
そのとき私は、オジサンが母の豊かな胸やボウボウとヘアの生えた下腹部を、しきりに見ていることに気づきました。
おまけに母はロッカーの方に向き直ると、上体を深く屈めて股間を拭い始めたではありませんか。
お尻は番台の方を向いているので、オジサンには母のアソコが丸見えでしょう。
他所の男の人にアソコまで見られている母に耐えられなくなった私は、「お母さん、タオルちょうだい!」と思わず叫んでしまいました。

ところが、これがとんだ誤算でした。
待ってましたと言わんばかりにオジサンが、「タオル貸しましょうか?」と母に声をかけてきたのです。
それに母が、「ええ、お願いします」なんて応じたものだから、私は全裸でタオルを番台まで取りに行く羽目に。
胸と下腹部を手で隠したかったのですが、母の手前もあって、恥ずかしい思いをぐっとこらえました。
番台の前で顔を上げると、オジサンは全裸の私をじっと見てしまいました。
顔見知りのオジサンに前も隠していない全裸を正面からじっと見られたことは、好きでもなんでもない男の人に処女を奪われたようで、すごくショックでした。

処女は大学1年のときに卒業しましたが、今でもこの“母娘丼”の一件を思い出すと、屈辱感が込み上げてきます。
その後、二度とお風呂屋さんには行きませんでしたし、オジサンと顔を合わせるのが嫌で銭湯の近くを通るのも避けていたくらいです。
ちなみに母もやがてオジサンのエッチな視線に感づいたらしく、今では家のお風呂に入っています。

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